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【第21章】人間ウオッチング

目次

81)物思いにふける

高級椅子に座って

ふとこんなことが脳裏に浮かんだ《本音と建て前》という言葉がある~おいらは40才まで水商売が主な基盤だった~お客さんと交わす言葉に建前は必要なく<いつも本音好きなものは好き嫌いなものは嫌い>で会話ができた<お客さんあっての店でありお客さんもでは本音話をしてくれる~

ところが昼間の職業ではそうは行かない~会社が大きいほど建前が必要になるようだ<会社あっての自分である>課長もいれば部長もいる~その上に社長がいる~同僚やライバルとの<出世競争>もある~建前の使い分けが必要になる~

ここに水商売と会社勤めの違いを感じた~水商売あがりアホと云うが~このアホが馬鹿正直で良いのだ~おいらは本音会話を交わすアホの方が好きだ~

新聞記事を読んで

又かよ~どこそこのOO先生がロリコン犯罪(幼少女への恋愛感情)で逮捕されてる、このロリコン趣味高学歴やお堅い公務従事した人が多いのだ~そこには一つの背景がある・彼らの幼少年時代勉強づくしで家庭内で育つ~友達遊ぶ時間や女の子との接触が少ない~

そういう人達がそれなりのお堅い職業就き適当お金と時間を持て余すようになると・ない物ねだり妄想湧いてくる~行動を起こせば事件になると知りつつ・我を忘れてやってしまう~これがいつものようにニュースになる

逆に悪ガキとかは~この手の犯罪は少ない<親の教育環境やる事なすこと異なるペットショップの犬に例えれば・飼われた子犬見る・聞く・育つ・学ぶ世界一変する~

小・中・高先生も似たり寄ったりのところがある<日々生徒達と向き合うと同化してしまう>恋愛感情が生じるのは同化現象による~しかしそんな環境下でも抑制できてるの方が大勢だ~そういう人は褒めてもイイ~当たり前のことなんだが~この当たり前のことができない瞬間がある~人間だから~

ある医院に行った時~

60代の院長が青少年問題について学会に出席することになったとか~院長の話を聞いてると・院長は青少年心理や行動を理解できていないようだ~毎日患者さんの対応に明け暮れていれば・それは当然かもしれない・夜遊びで街角をウロつくような少年・少女との接触あるはずもない~

少しばかり口を挟んでみた<青少年遊び心実態説明すると>あなたみたいな出席するべきだと答えが返ってきた~このような先生達論文を作成し公表している<新聞や雑誌の寄せ集めの記事になる>当たり前の事しか書いていない~聞いてみなきゃわかんね~もんだ~

地球上で一番恐いモノはなんだろうと考えてみた~答え人間になる~獰猛(どうもう)な肉食動物でも範囲内を越えなければ襲ってはこない~しかし人間はとんでもない思い込み瞬間行動を起こしたりもする~多種道具まで使用する・最も欲深く・怖~い生物だ~

憎しみ恨み事を忘れることなく・戦いを永遠に続けている~それでも この世で一番素晴らしいものと・問われれば~これ又人間になる~なんともややこしい人間万歳いうしかない~

新聞・雑誌の広告欄に いつも精力剤が載っている~男ども精力増進を求め~地球上ありとあらゆる”モノを探し出しては精力増強に結び付けたりもする~古今東西これがビジネスになる~

ならば~地球上で一番精力の強い動物は何だろう~<やはり人間になる>ほとんどの動物陽が昇り陽が暮れる迄が活動範囲だが~人間は昼も夜も場所関係無いのだ~いつでも・どこでも見境もなく発情行動起こすてえへんだ~てえへんだ~

スナックにバイトの女子大生

たまにのぞくスナックにバイトの女学生二人入店していた~会話も出来ずに黙って立ってるので話しかけることに~学校で教えてもらえないことを教えてあげよう・と声をかけた~

いいかい~世の中には好き・嫌い・どちらでもという三人の人がいるんだ~好きな人はほっといても相性が合う・嫌いと思った人は無理に近づかなくても良いんだ~どちらでもという人に声をかけ~友達になれば三人の中で二人が味方になる~これで世渡りになるんだ~

おいらも~嫌いなタイプと友達になった~最初はどうしようかと考えた末に友達として付き合ってみようと・決めた細かいことは考えないことにしよう~

彼と会話を交わすと~モノ事見解相違感じる~だけどこれが学びになった~付き合いは35年を経過し~色々と勉強をさせて貰った~2021年デルタ株感染亡くなってしまった~

残念でならない涙が出た~いつの間にか一番頼りになる友人になっていたのだ~相性は悪くても付き合ってみないと・人は解らない~

82)人間ウオッチング

それにしても 最初に勤めたフナイ電機を退社してからは良くも悪くも転々と職場を変えてきたものだ~フナイを辞める理由に社長の顔を見ることがなかった~せめて新年には社員一同を前に将来の目標・展望を聞かせて欲しいと思った~

身を預けてる訳だしこの人の目標達成に頑張るぞ~・が・励みになっただろう・おいらは忠実な性格なのだ(その後にフナイ電機も少しは認知度のある会社になって・これは嬉しい)しかし2024年に倒産ニュース流れてきた~😔

水商売に入ってからは博多・大阪・東京・札幌と多くの店で体験させてもらい・沢山の人間ウオッチング楽しめた~たとえば女性の方から男性に声をかけて誘う場合もある~<所変われば品変わるで> 札幌の女性は積極的だった~気に入った男性がいれば~普通に声をかけて誘っている~

札幌

札幌女性数字に例えれば60度・博多と東京は40度・大阪の女性は予想外控えめなのだ~自分から声かけをする女性は少なく30度~と・こんな数値に~なるようだ~

最初に洋酒喫茶で働いた時になぜだろうと思った~若い女性客が多いのだ~若い男子は仕事を憶えよう・一人前になろうと・励んでいる時に女子は夜遊びを楽しんでる~というか・何か探し求めている・

つまり女性結婚をすると~遊べなくなる・独身時代に遊んでおこう~もあるが結婚相手を見つけることは~女性の重大事項になる~これも背景あるよう~な~

女性は 17・19・21・29~49才と奇数年齢活発行動をとる~19才は20才になればおばさんになるからといって遊ぶ~29才はこの期を逃し30歳になれば結婚相手ハードル下がるとかで~より活動盛んになる~

店も時代で変わる~

昔の様に安く飲んで遊べる洋酒喫茶はない~バーテンダーが20~30人いて飲み代手頃で料理もある~生バンド演奏目前ガンガン音を鳴らし踊れるこりゃ楽しい~でも人件費の関係でもうできっこない~あの頃は男子従業員給料が安かった~サパークラブも同様に~

バンドミュージシャンが育たない練習をすれど演奏をする・場所がないギャラを払ってくれるところがないのだ~やる人達が増えれば 良い曲も生まれる~あの時代懐かしい

今はラップの延長でメロディがない~ダンスに移行~おまけにAI生成の音楽・動画と変わってきた~

飲みに行けば

お客さんホステス恋愛当然の如く生まれるモテるお客さんもいれば~そうでないお客さんもいるが~見ればわかるパリッ高級スーツを着こなせばモテるとは限らない~

シャツ一枚恰好でも洗濯したて髪・指先・靴の手入れが行き届ている~表情に微笑みがある~このタイプは親しまれて好感度高い~モテない人の特徴は~言葉づかいが乱雑一方的ある~

これ言葉使いの荒いとは異なる~荒いの積極性があり頼りになるとの解釈もある~良くしゃべり・ハシャグタイプは三枚目の役者になる~それではモテない人はまるでモテないかと云えばそうではない~どの世界にも似た者同士はいる・世の中上手く出来てる~

最悪相手にされないタイプ~落ち着きがなく焦点が定まらず<何を考えてるのか解らないにいるモテる人落ち着き健やか気配りを感じる人~そばに居て安心できる育ちイイんだろうな~

当然・女性スタッフも人気のある人そうでない人がいる~人気のある人は 表情が活き活き としている・動き(身のこなし)が良い・にこやか気配りができる~当たり前のことなんだが~

恋愛最低な男とは男女関係を暴露する男~芸人にもいた~元親方と離婚した女性との関係を世にバラシ~事の中身まで喋ってアメリカへ逃げた二人息子黙ってはいられない男女間公言するは女性へ侮辱なる~口の堅い人女性の好みだ~

もし奥さん彼女夜のバイトをやるならば<浮気は覚悟しなければいけない>勤めにでると男性見る目が自然と変わってくる~好みでカッコいいお客さんが自分目当てに足を運び・お金を使い・歯の浮いた言葉で誘ってくるいつしか負けてしまう当然の如しで~ある代償重い~

方法は勤める前に教訓インプットすれば70%守れる<お店にいる時はお友達~外に出れば知人>

入店時心得ハメを外す確率は減る~この白黒をはっきりと出来る人は<人気の人になる何事最初肝心~初心忘れるべからず~

全国転々渡り歩き~色々と学び教わった~人それぞれの人生に~正解もなければ不正解もなく・あれも良し~これも良し~なすがまま・なされるがままこれも良し~

83)人の縁は解らない

ずっと思っていた<大人になりたくない>頭から離れなかった~子供の頃のトラウマから抜け出せないのだ~もうすぐ50歳になるというのに~

あれこれ経験はしたつもりだが<侘しさも感じていた自問自答をすれば<子供がいない>これもトラウマの影響だと思っていた<子供がいなかったので自由やれたのだが

知り合った女性

この日もいつもの様に飲みに出かけた~宗右衛門町通りの角を曲がるといつも呼び込みをしている・呼び込みをする店多少ランク落ちる雰囲気やサービスに課題があり常連客定着しないのだ~この店もテーブルについても・なにかしら温かみを感じない・そんな店だった

それでも午前3~4時迄の営業なので帰りにもう一杯という時に寄っていた~この夜は初対面の女の子が正面に座った~なにかぎこちなくオドオドとして会話が苦手のようだし・表情も冴えない~

聞いてみると・入店して二月が過ぎて寮住まいだとか~その寮はおいらの住まいから10分圏内にある~数日後もその子が席に着き~なんとなく明日寮に行く言った~翌日の昼にマンションに行くと6畳の部屋生活用品も何もない・ガランとしている・これほど何もないのも珍しい~計画性ないようだ~

彼女曰く20才勘当されて縁を切ったとか~善通寺市には戻らないという~話を聞いてると・何か食べに行こうかな~との思いは消滅したので・帰ることにした~

部屋に戻りなんとなく考えてみた~あの店あの子なら27歳まで店にとどまるかもしれない(感はよく当てる)歳は29も離れているが~どうもほっとけない気がしてきた~2日後に彼女の部屋に行った~

このままここで暮らすよりは~マシかも知れないので<ウチにおいでと誘うと>彼女頷いた~翌日に迎えに行き~手荷物を持って部屋後にした~

ひょんなことから二人の生活は始まった人の縁は解らない一緒に住みだすと彼女表情に活気と笑顔が出てイキイキしてきた~

まだ世間を知らないようなので近所スーパー勤めを勧めた~スーパーなら食品の良否・仕入れと販売・物価の単価・どのようなお客さん何を買って~今日はどんな料理をするのか・人間ウオッチングができて・何かと勉強になるはずだ~

元気よく勤めに行き出した

年が明け~私、成人式なの~というので・それではと近くの写真屋さんに行って記念写真を撮ってもらった~その時に・たとえどんな事情があろうと親子の縁は切れることはないので写真でも送って元気でいることを知らせてあげれば・と~彼女も落ち着いた頃だったので手紙出したようだ~

一緒に住みだして3ヶ月が過ぎ~中古マンションでも買おうと~玉出駅近くに3LDKを(リビング24畳の1LDK)に改造した物件があったので引っ越した~住居が変わって新生活始まり感じた~

そうなると毎月生活費をどのように渡そうか<月末手渡しするのは気乗りがしない>それでは預金通帳を作って入金をしよう

通帳を持ったことがなかったようだ~今後は何かと必要になるはずだし毎月20万円入金しよう・公共料金は引き落としだし・外食も多いので生活費もかからない・へそくりできるだろう~

84)西日本一周旅行

彼女旅行経験もないようだ~あっちこっちへと連れ出し見聞を広めてやろうと10日間山陰~九州~山陽道~四国~へと計画を立てた~旅費はヤマカン試算で合計62万ほどになりそうだ~

時間自由なので早速でかけることした~まずは新聞広告に載っていた山陰竹野でフグを食べ・米子の皆生温泉食塩泉が珍しいのでここ一泊~山陰道を右や左に寄り道しながら~山口県~関門トンネルを通過~日曜日の昼に小倉競馬場着いた~

これはおいらの予定に入っていた~資金は3万円で彼女には6千円競馬新聞を渡し~馬の名前でも好きな数字でも・何でもいいから1レース千円で買ってみて~

7Rからスタート~買い方は三連複5頭BOX軸馬一頭5点流し~7レースはハズレ・8R・9Rは的中したので賭け金を増額していった~12R終えて<プラス64万円になった>こんなこともあるんだ~信じられない~これで旅行費用丸々浮いてしまった旅先では賭け運があるとは聞いた事ある~

上機嫌九州一周車を走らせた~別府温泉・鬼の洗濯板・桜島・阿蘇山・ 雲仙・長崎港・伊万里・博多~

ひと回りして土曜日小倉競馬場に~この日12万円をゲット~山陽道は尾道でラーメンを食べ➡瀬戸大橋➡愛媛➡高知へ

ジョン万次郎1827年1月1日生まれ

この人ほど<行きあたりばったりで破天荒な運命>をたどった人はを見ない~9歳で父親を亡くし~母親に育てられたいたずらっ子は~14歳の時に友達と遊び疲れて・いつものように船内に潜り込んで寝てる間に~その日出港日船は出てしまった~

船長は船を戻すわけにもいかず~そのまま漁に出たのはいいが<大シケになり遭難>無人島「鳥島」漂着~143日後にアメリカの捕鯨船に助けられた~仲間はハワイで降りたが万次郎は船長に気に入られてアメリカ行きを決意する

渡米後船長は実の子同様にスクールに通わせ~数学・測量・航海術・造船技術を学ばせた~卒業後は捕鯨船に乗船し数年の航海で世界各地渡り知る~

その頃のアメリカはゴールドラッシュ沸いていた<万次郎は日本へ帰る資金を稼ぐ為に>サンフランシスコ鉱山へ行き~金の採掘をやり600ドル稼いだ~

ここ薩摩藩万次郎造船技術や知識学び受け入れた<越通船を建造する>その後に長崎へ移され~やっと(1853年)に土佐戻れたという~

土佐藩は公式記録「漂客談奇」に書き残し~後に「漂巽紀略全4冊」が出来上がる・これは坂本龍馬や多くの幕末志士達に読まれた~さぞや心を搔き立てただろう

土佐藩の藩校「教授館」教授任命~岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)にも教えている・やがて万次郎は幕府直参の旗本として招聘され江戸<名を中濱万次郎として希少な通訳となり>ペリー初来航の際に任務を果たす~勝海舟の咸臨丸では事実上の船長として活躍した~

何とも破天荒な人生だ~今は銅像となって足摺岬に立ち・海を眺めている~万次郎の功績は日本よりもアメリカでの評価が高い『海外からの米国訪問者展』29人の中に万次郎選ばれている~

1870年にはフランス視察団員としてヨーロッパへ~この帰りにアメリカに寄港恩人ホイットフィールド船長と約20年ぶりの再会を果たす~帰国後に小笠原の開拓調査・捕鯨活動・上海渡航・明治政府の開成学校(現東京大学)教授・アメリカ・ヨーロッパへと任務遂行したという<ご立派>

《お母さんには大変な思いをさせたが~とんでもない喜びもプレゼントできた~》

と言う訳万次郎資料館見学無事帰宅10日間旅費64万円だった~ヤマカンは当り~そして彼女に言ってみた~次は東日本一ヶ月くらい・旅してみようか~

旅を振り返り~

なんとなく気になっった~柳川市の歴史資料館を見学の際~二人で歩いてたはずなのに・アレ~いなくなってる~探して又一緒に歩き出したが又いなくなってるこの時に一瞬 頭をよぎったこの人はいつしか去って行く人なのかも~まあ~それはその時・考えないことにしよう~

何処に行ったんだろう

柳川の川下り

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