81)物思いにふける
高級椅子に座って
ふとこんなことが脳裏に浮かんだ《本音と建て前》という言葉がある~おいらは40才まで水商売が主な基盤だった~お客さんと交わす言葉に建前は必要なく<いつも本音で好きなものは好き・嫌いなものは嫌い>で会話ができた<お客さんあっての店であり>お客さんも酒の席では本音で話をしてくれる~

ところが昼間の職業ではそうは行かない~会社が大きいほど建前が必要になるようだ<会社あっての自分である>課長もいれば部長もいる~その上に社長がいる~同僚やライバルとの<出世競争>もある~建前の使い分けが必要になる~
ここに水商売と会社勤めの違いを感じた~水商売あがりはアホと云うが~このアホが馬鹿正直で良いのだ~おいらは今も本音で会話を交わす~アホの方が好きだ~
新聞記事を読んで
又かよ~どこそこのOO先生がロリコン犯罪(幼少女への恋愛感情)で逮捕されてる、このロリコン趣味は高学歴やお堅い公務に従事した人が多いのだ~そこには一つの背景がある・彼らの幼少年時代は勉強づくしで家庭内で育つ~友達と外で遊ぶ時間や女の子との接触が少ない~

そういう人達がそれなりのお堅い職業に就き~適当なお金と時間を持て余すようになると・ない物ねだりの妄想が湧いてくる~行動を起こせば事件になると知りつつ・我を忘れてやってしまう~これがいつものようにニュースになる~
逆に悪ガキとかは~この手の犯罪は少ない<親の教育や環境でやる事~なすことが異なる>ペットショップの犬に例えれば・飼われた主で子犬は<見る・聞く・育つ・学ぶ>世界が一変する~
小・中・高の先生も似たり寄ったりのところがある<日々生徒達と向き合うと同化してしまう>恋愛感情が生じるのは同化現象による~しかしそんな環境下でも抑制できてる人の方が大勢だ~そういう人は褒めてもイイ~当たり前のことなんだが~この当たり前のことができない瞬間がある~人間だから~
ある医院に行った時~
60代の院長が~青少年問題について学会に出席することになったとか~院長の話を聞いてると・院長は青少年の心理や行動を理解できていないようだ~毎日患者さんの対応に明け暮れていれば・それは当然かもしれない・夜遊びで街角をウロつくような少年・少女との接触はあるはずもない~
少しばかり口を挟んでみた<青少年の遊び心と実態を説明すると>あなたみたいな人が出席するべきだと答えが返ってきた~このような先生達が論文を作成し世に公表している<新聞や雑誌の寄せ集めの記事になる>当たり前の事しか書いていない~聞いてみなきゃわかんね~もんだ~

次は地球上で一番恐いモノはなんだろうと考えてみた~答えは人間になる~獰猛(どうもう)な肉食動物でも範囲内を越えなければ襲ってはこない~しかし人間はとんでもない思い込みで瞬間に行動を起こしたりもする~多種な道具まで使用する・最も欲深く・怖~い~生物だ~
憎しみや恨み事を忘れることなく・戦いを永遠に続けている~それでも この世で一番素晴らしいものはと・問われれば~これ又人間になる~なんともややこしい~人間万歳というしかない~
新聞・雑誌の広告欄に いつも精力剤が載っている~男どもは精力増進を求め~地球上の ありとあらゆる”モノ”を探し出しては精力増強に結び付けたりもする~古今東西これがビジネスになる~
ならば~地球上で一番精力の強い動物は何だろう~<やはり人間になる>ほとんどの動物は陽が昇り陽が暮れる迄が活動範囲だが~人間は昼も夜も場所も関係無いのだ~いつでも・どこでも見境もなく発情行動を起こす~てえへんだ~てえへんだ~
スナックにバイトの女子大生
たまにのぞくスナックにバイトの女学生二人が入店していた~会話も出来ずに黙って立ってるので話しかけることに~学校で教えてもらえないことを教えてあげよう・と声をかけた~


いいかい~世の中には好き・嫌い・どちらでもという三人の人がいるんだ~好きな人はほっといても相性が合う・嫌いと思った人は無理に近づかなくても良いんだ~どちらでもという人に声をかけ~友達になれば三人の中で二人が味方になる~これで世渡りが楽になるんだ~
だけどね~嫌いな人は・あなたが相手の欠点を知るように~相手もあなたの欠点を知ってるんだ~となると<学びの多いのは>この嫌いな人なんだよ~付き合ってみる価値があるんだ~
おいらも~嫌いなタイプと友達になった~最初はどうしようかと考えた末に友達として付き合ってみようと・決めた~細かいことは考えないことにしよう~
彼と会話を交わすと~モノ事の見解の相違を感じる~だけどこれが学びになった~付き合いは35年を経過し~色々と勉強をさせて貰った~2021年:デルタ株に感染~亡くなってしまった~
残念でならない~涙が出た~いつの間にか一番頼りになる友人になっていたのだ~相性は悪くても付き合ってみないと・人は解らない~

82)人間ウオッチング
それにしても 最初に勤めたフナイ電機を退社してからは良くも悪くも転々と職場を変えてきたものだ~フナイを辞める理由に社長の顔を見ることがなかった~せめて新年には社員一同を前に将来の目標・展望を聞かせて欲しいと思った~
身を預けてる訳だしこの人の目標達成に頑張るぞ~・が・励みになっただろう・おいらは忠実な性格なのだ(その後にフナイ電機も少しは認知度のある会社になって・これは嬉しい)しかし2024年に倒産のニュースが流れてきた~😔
水商売に入ってからは博多・大阪・東京・札幌と多くの店で体験させてもらい・沢山の人間ウオッチングを楽しめた~たとえば女性の方から男性に声をかけて誘う場合もある~<所変われば品変わるで> 札幌の女性は積極的だった~気に入った男性がいれば~普通に声をかけて誘っている~

札幌女性を数字に例えれば60度・博多と東京は40度・大阪の女性は予想外に控えめなのだ~自分から声かけをする女性は少なく30度~と・こんな数値に~なるようだ~
最初に洋酒喫茶で働いた時に~なぜだろうと思った~若い女性客が多いのだ~若い男子は仕事を憶えよう・一人前になろうと・励んでいる時に女子は夜遊びを楽しんでる~というか・何かを探し求めている・
つまりは女性は結婚をすると~遊べなくなる・独身時代に遊んでおこう~もあるが結婚相手を見つけることは~女性の重大事項になる~これも背景にあるよう~な~

女性は 17・19・21・29~49才と奇数年齢は活発に行動をとる~19才は20才になればおばさんになるからといって遊ぶ~29才はこの期を逃し~30歳になれば結婚相手のハードルが下がるとかで~より活動は盛んになる~
店も時代で変わる~
昔の様に安く飲んで遊べる洋酒喫茶はない~バーテンダーが20~30人いて飲み代は手頃で料理もある~生バンド演奏が目前でガンガンと音を鳴らし~踊れる~こりゃ楽しい~でも今は人件費の関係でもうできっこない~あの頃は男子従業員の給料が安かった~サパークラブも同様に~
今はバンドミュージシャンが育たない~練習をすれど<演奏をする・場所がない>ギャラを払ってくれるところがないのだ~やる人達が増えれば 良い曲も生まれる~あの時代が懐かしい~


今はラップの延長でメロディがない~ダンスに移行~おまけにAI生成の音楽・動画と変わってきた~
飲みに行けば
お客さんとホステスの恋愛は当然の如く生まれる~モテるお客さんもいれば~そうでないお客さんもいるが~見ればわかる・パリッと高級スーツを着こなせばモテるとは限らない~
シャツ一枚の恰好でも洗濯したてに髪・指先・靴の手入れが行き届ている~表情に微笑みがある~このタイプは親しまれて好感度は高い~モテない人の特徴は~言葉づかいが乱雑で一方的である~


これは言葉使いの荒いとは異なる~荒いのは積極性があり頼りになるとの解釈もある~良くしゃべり・ハシャグタイプは三枚目の役者になる~それではモテない人はまるでモテないかと云えばそうではない~どの世界にも似た者同士はいる・世の中は上手く出来てる~
最悪は相手にされないタイプ~落ち着きがなく焦点が定まらず<何を考えてるのか解らない>稀にいる~モテる人は落ち着きと健やかで気配りを感じる人~そばに居て安心できる~育ちがイイんだろうな~
当然・女性スタッフも人気のある人とそうでない人がいる~人気のある人は 表情が活き活き としている・動き(身のこなし)が良い・にこやかで気配りができる~当たり前のことなんだが~
恋愛で最低な男とは男女関係を暴露する男~芸人にもいた~元親方と離婚した女性との関係を世にバラシ~事の中身まで喋ってアメリカへ逃げた(二人の息子も黙ってはいられない)男女間を公言するは女性への侮辱となる~口の堅い人は女性の好みだ~

もし奥さんや彼女が夜のバイトをやるならば<浮気は覚悟しなければいけない>勤めにでると男性を見る目が自然と変わってくる~好みでカッコいいお客さんが<自分目当てに足を運び・お金を使い・歯の浮いた言葉で誘ってくる>いつしか負けてしまう~当然の如しで~ある・代償は重い~
方法は<勤める前に教訓>をインプットすれば70%は守れる<お店にいる時はお友達~外に出れば知人>
入店時の心得でハメを外す確率は減る~この白黒をはっきりと出来る人は<人気の人になる>何事も最初が肝心~初心忘れるべからず~

全国を転々と渡り歩き~色々と学び教わった~人それぞれの人生に~正解もなければ不正解もなく・あれも良し~これも良し~なすがまま・なされるがまま~これも又良し~
83)人の縁は解らない
ずっと思っていた<大人になりたくない>頭から離れなかった~子供の頃のトラウマから抜け出せないのだ~もうすぐ50歳になるというのに~

あれこれと経験はしたつもりだが<侘しさも感じていた>自問自答をすれば<子供がいない>これもトラウマの影響だと思っていた<子供がいなかったので自由にやれたのだが>
知り合った女性
この日もいつもの様に飲みに出かけた~宗右衛門町通りの角を曲がるといつも呼び込みをしている・呼び込みをする店は多少ランクが落ちる~雰囲気やサービスに課題があり常連客が定着しないのだ~この店もテーブルについても・なにかしら温かみを感じない・そんな店だった。
それでも午前3~4時迄の営業なので帰りにもう一杯という時に寄っていた~この夜は初対面の女の子が正面に座った~なにかぎこちなくオドオドとして会話が苦手のようだし・表情も冴えない~

聞いてみると・入店して二月が過ぎて寮住まいだとか~その寮はおいらの住まいから10分圏内にある~数日後もその子が席に着き~なんとなく明日寮に行くと言った~翌日の昼にマンションに行くと6畳の部屋は棚も生活用品も何もない・ガランとしている・これほど何もないのも珍しい~計画性がないようだ~
彼女曰く・今20才で親に勘当されて縁を切ったとか~善通寺市には戻らないという~話を聞いてると・何か食べに行こうかな~との思いは消滅したので・帰ることにした~
部屋に戻りなんとなく考えてみた~あの店とあの子なら27歳まで店にとどまるかもしれない(感はよく当てる)歳は29も離れているが~どうもほっとけない気がしてきた~2日後に彼女の部屋に行った~
このままここで暮らすよりは~マシかも知れないので<ウチにおいでと誘うと>彼女は頷いた~翌日に迎えに行き~手荷物を持って部屋を後にした~
ひょんなことから二人の生活は始まった<人の縁は解らない>一緒に住みだすと彼女の表情に活気と笑顔が出てイキイキとしてきた~
まだ世間を知らないようなので近所のスーパー勤めを勧めた~スーパーなら食品の良否・仕入れと販売・物価の単価・どのようなお客さんが何を買って~今日はどんな料理をするのか・人間ウオッチングができて・何かと勉強になるはずだ~
元気よく勤めに行き出した
年が明け~私、成人式なの~というので・それではと近くの写真屋さんに行って記念写真を撮ってもらった~その時に・たとえどんな事情があろうと親子の縁は切れることはないので写真でも送って~元気でいることを知らせてあげれば・と~彼女も落ち着いた頃だったので手紙を出したようだ~


一緒に住みだして3ヶ月が過ぎ~中古マンションでも買おうと~玉出駅近くに3LDKを(リビング24畳の1LDK)に改造した物件があったので引っ越した~住居が変わって新生活の始まりを感じた~
そうなると毎月の生活費をどのように渡そうか<月末に手渡しするのは気乗りがしない>それでは預金通帳を作って入金をしよう~
通帳を持ったことがなかったようだ~今後は何かと必要になるはずだし毎月20万円を入金しよう・公共料金は引き落としだし・外食も多いので生活費もかからない・へそくりもできるだろう~
84)西日本一周旅行
彼女は旅行の経験もないようだ~あっちこっちへと連れ出し見聞を広めてやろうと車で10日間・山陰~九州~山陽道~四国~へと計画を立てた~旅費はヤマカン試算で合計62万ほどになりそうだ~


時間は自由なので早速でかけることした~まずは新聞広告に載っていた山陰竹野でフグを食べ・米子の皆生温泉~食塩泉が珍しいのでここ一泊~山陰道を右や左に寄り道しながら~山口県~関門トンネルを通過~日曜日の昼に小倉競馬場に着いた~
これはおいらの予定に入っていた~資金は3万円で彼女には6千円と競馬新聞を渡し~馬の名前でも好きな数字でも・何でもいいから1レース千円で買ってみて~
7Rからスタート~買い方は三連複5頭BOXと軸馬一頭5点流し~7レースはハズレ・8R・9Rは的中したので賭け金を増額していった~12Rを終えて<プラス64万円になった>こんなこともあるんだ~信じられない~これで旅行費用は丸々浮いてしまった~旅先では賭け運があるとは聞いた事がある~


上機嫌で九州一周へ車を走らせた~別府温泉・鬼の洗濯板・桜島・阿蘇山・ 雲仙・長崎港・伊万里・博多~
ひと回りして土曜日に小倉競馬場に~この日も12万円をゲット~山陽道は尾道でラーメンを食べ➡瀬戸大橋➡愛媛➡高知へ
高知で行きたいところは<ジョン万次郎資料館>~ジョン万次郎の生き様を知った時はワクワクとした~夢の中の人生のようだ~
ジョン万次郎<1827年1月1日生まれ>
この人ほど<行きあたりばったりで破天荒な運命>をたどった人は類を見ない~9歳で父親を亡くし~母親に育てられたいたずらっ子は~14歳の時に友達と遊び疲れて・いつものように船内に潜り込んで寝てる間に~その日は出港日~船は出てしまった~
船長は船を戻すわけにもいかず~そのまま漁に出たのはいいが<大シケになり遭難>無人島「鳥島」に漂着~143日後にアメリカの捕鯨船に助けられた~仲間はハワイで降りたが万次郎は船長に気に入られて<アメリカ行きを決意する>
渡米後も船長は実の子同様にスクールに通わせ~数学・測量・航海術・造船技術を学ばせた~卒業後は捕鯨船に乗船し数年の航海で世界各地を渡り知る~
その頃のアメリカはゴールドラッシュで沸いていた<万次郎は日本へ帰る資金を稼ぐ為に>サンフランシスコの鉱山へ行き~金の採掘をやり600ドルを稼いだ~


これを手にハワイへ行き・残っていた二人と帰国に向かう<この時代は鎖国で命の保証はない>意志は固い(1851年)沖縄は糸満市の大度浜海岸に上陸・約半年の取り調べ後に薩摩へ送られた~
ここ薩摩藩は万次郎の造船技術や知識を学び受け入れた<越通船を建造する>その後に長崎へ移され~やっと(1853年)に土佐に戻れたという~
土佐藩は公式記録「漂客談奇」に書き残し~後に「漂巽紀略全4冊」が出来上がる・これは坂本龍馬や多くの幕末志士達に読まれた~さぞや心を搔き立てただろう~
土佐藩の藩校「教授館」教授に任命~岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)にも教えている・やがて万次郎は幕府直参の旗本として招聘され江戸へ<名を中濱万次郎として希少な通訳となり>ペリー初来航の際に任務を果たす~勝海舟の咸臨丸では事実上の船長として活躍した~
何とも破天荒な人生だ~今は銅像となって足摺岬に立ち・海を眺めている~万次郎の功績は日本よりもアメリカでの評価が高い『海外からの米国訪問者展』29人の中に万次郎は選ばれている~
1870年にはフランス視察団員としてヨーロッパへ~この帰りにアメリカに寄港~恩人のホイットフィールド船長と約20年ぶりの再会を果たす~帰国後に小笠原の開拓調査・捕鯨活動・上海渡航・明治政府の開成学校(現東京大学)の教授・アメリカ・ヨーロッパへと任務を遂行したという<ご立派>

《お母さんには大変な思いをさせたが~とんでもない喜びもプレゼントできた~》
と言う訳で万次郎資料館を見学・無事帰宅~10日間の旅費は64万円だった~ヤマカンは当り~そして彼女に言ってみた~次は東日本を一ヶ月くらい・旅してみようか~
旅を振り返り~
なんとなく気になっった~柳川市の歴史資料館を見学の際~二人で歩いてたはずなのに・アレ~いなくなってる~探して又一緒に歩き出したが又いなくなってる~この時に一瞬 頭をよぎった~この人はいつしか去って行く人なのかも~まあ~それはその時・考えないことにしよう~

何処に行ったんだろう






コメント