37)新しい職場はディスコ
一人生活がスタートした!
自立しなきゃ~仕事探しだ~夜の仕事は二度の中途退職で消化不良のままだ~それでは出かけよう~以前に働いていた宗右衛門町の洋酒喫茶に行って見ると経営者が替わり~ディスコ風に様変わりしていた~その時の主任が店長に~
なんと~この人はずっとここで働いてたんだ~カウンターに座ってると店長が声をかけてくれた~もし此処で良かったら仕事をやってみないか<えっ~渡りに船とはこのことだ>お願いしますと即答した~こんなこともあるんだ~ツイてる
月給は22万で休みは土曜日以外に月3回を選べる(平日は午前1時まで土曜日は朝5時まで営業)休日出勤は加算されるという・条件はどうでも良かった・仕事に飢えていたのか~働ける喜びに感謝だ~<やはり人は仕事という目標が必要だ>

主任で働くようになった
二日後と三日後にも新しく主任が入店して三人になった、この頃に募集をかけていたようだ
三ヶ月半は一日も休むことなく休憩もせず~ウエイター兼用で動いた~中途採用なので皆に認めてもらわなければ、それには見本となる姿勢と人の倍は動くのだ・・と言い聞かせていた、だけど二人の主任は二ヶ月と三ヶ月で辞めてしまった~
三ヶ月が過ぎると皆と談笑する機会が増え~4ヶ月後・マネージャーに昇格した。
マネージャーの仕事ってなんだろうと考えてみた、サービス業だから一番はお客様に安全と安心をモットに楽しんで貰う~従業員には働きやすい環境を作ってあげる・これしか頭に浮かばなかった・もうひとつ浮かんだ・店長に”楽”をしてもらおう~おいらが働くほどに店長は楽になる・
38)ディスコブームの到来
その年の11月に全面改装を施し<ディスコB&B>になった~日本バンドとフィリピンバンドが交代で演奏をする・絶え間なくサウンドは流れ~お客さんは夢中に踊って楽しんでいる・こんな中で仕事ができるとは何とも楽しかる~かる~

日本バンドのグループは100~120万円・フィリピンバンドは一人30万円~6人なら180万円(住居と食付)をプロダクションに支払っていた。
日本バンドとフィリッピンバンドの相違
毎日聴いていると双方の演奏に大きな違いがあった~日本バンドは楽譜とにらめっこ・表情はうつむき加減の姿勢になり無表情で演奏をする<まるでミニオーケストラ>ここはディスコでお客さんを楽しませる場所なんだが~と・
バンドマスターにそれとなく尋ねてみると<やはり楽譜を見ないと演奏できないとか>習慣漬けになってるんだ~それ以上は突っ込めない<フィリッピンバンドは違った>それぞれの個性で演奏をする~お客さんの踊りを見ながら演奏ができる・笑顔もある・だから女性にモテる。
バンマスに楽譜は見ないのかと尋ねると楽譜は読めないと言う、皆子供の頃から音楽が好きで曲は耳で憶えたと~なるほどこれがその差なんだ~どちらが楽しいかと言えば当然の如し・・
店内で物足りない部分を感じていた<おいらはよく踊りに行ってたので解る>照明がほったらかしだ~こりゃ駄目だとストロボや多色変換のステージライトを楽曲に合わせてコントロールした♫ これで踊り易くなったはずだ ♫お客さんも楽しめる~
ディスコ音楽の転換期
この時期~世界中でディスコが流行り出した<来客数は上昇の一途>有名人も見学がてらに遊びに来たりで様々な人達が踊りにきた・働く側も楽しい・
情報誌を読んでるとアメリカのディスコはレコード音楽で踊っている・そうなのか・じゃ~今からはレコードの時代になるんだ~早速・店長に提案をすることに・バンドからレコードに切り替えれば経費節約にもなるはずだ~

本社の部長に反対をされた~諦めずに2度目の説得をした<バンドは新曲を覚えるまで時間がかかり曲数が少ない>レコードは新曲を流せる・設備投資はバンドを一つにすれば三月で元は取れる~
ディスクジョッキーを始めた
じゃ~ディスクジョッキーはどうするんだと部長に問われ<私がやりますと答えた> 当たって砕けろ~ だ ・ 人の出来る事は♬やればできるが信条~
DJのコツをフィリピンバンドのバンマスに聞いてみよう<すると曲の歌詞や一節を取り入れると良いのでは>と教えてくれた・そうか~それが基本なんだ~途中でハヤシ立てるExciting wordsを投げればイイ~
DJをスタートした「 ザッツ・ザ・ウェイ」レコードを回してハヤシ言葉をかけるとみんなが一体になって踊ってくれてる ♪ 同化してる ♪ なんとも楽しい~ こんな楽しい仕事があるんだ~イヤーこれは仕事じゃない・遊びだ~おいらが上手く遊ぶほどにお客さんも楽しくなるんだ~~コツがわかったぞ~
それにしてもフィリピンバンドの給料は安い・バンマスに問えば手取り¥5000~¥8000円だとか~6人メンバーで5万円で足りる・プロダクッションのピンハネが多大に感じた・こりゃ悪業だ~往復の飛行機代や諸経費を支払ったとしても・・彼らを応援したくなった。
ディスコブーム
店は順調だ~ヒット曲が次から次へとリリースされる・一発屋のバンドグループも登場・一曲でも当たれば世界中に売れる~一生食べれるほどの収入になる・これが世の中の時流なんだ~


スウェーデン出身の男女4人組アバ(ABBA)は大ヒット<名車ボルボ社よりも納税額が上回った>何とも驚きだ~音楽ってこれほどの高収入になるのか~知らなかったな~
土曜日は来客数が2000人を超えて通路もホールもごった返している<まさにサタデーナイトフィーバーだった>従業員は多忙で疲れる~ウエイターの給料は仕事量に応じられていないような~気がした。
ボトルキープ制にし歩合を付けるように提案を出した~これで2~6万円ほどの手当がついてウエイターも喜んでくれた~
ブームになれば多少の無理が効く~来店時にボトルキープ制となって(売り上げは急上昇)チェックアウト時間も必要になる~これをやらないと広い店内でも身動きが取れない~
インベーダーゲームがブームに
やってみると面白く結構夢中になる~このゲームはテーブル式だ~これなら店にも置けると考え・業者を呼んで12台ほど設置してもらった~
踊っていない人も楽しめる~おまけにバックマージンがあり一石二鳥だ~この収入は従業員の慰安に使おう~年末の忘年会の時に思い切りご馳走を出した~


この店は従業員寮の送り迎えにマイクロバスがあった・季節ごとに海水浴・ハイキング・スキーや慰安旅行に活躍する・お水の仕事にしては整っていた・おまけに景気が良いので毎年昇給とボーナス迄貰えた・ありがたや~
39)店内で喧嘩が始まる
仕事にイイこと尽くしはない・悪いことも多々ある~土曜日には喧嘩が多く勃発する~
ウエイターが止めに入り5~6人が集中してもみ合ってる~その中に拳を上げて殴りかかろうとする男がいた・その右腕をおいらの右腕で絡ませ後ろ手に廻し・羽交い締めにした~
彼は切り離そうと暴れもがくが動かない~しっかりと絡ませ思い切り上に締め上げた~3分程するとおとなしくなったので手を離す~この男は一度ではなかった~

2回目・3回目の時も同じように羽交い締めにされたので~さすがに懲りたのか、それからは喧嘩はしなくなった・彼は何処かの組員だった~
喧嘩を止めに入ってはダメ~
喧嘩の仲裁は危険だ~双方ともに緊張と不安を持つ中で・矛先が仲裁者に向かうことは多々ある(これは二人にやられる)君子危うきに近寄らず~
その若者は大阪一の番長だった
この日・店内に立っているとやや体格のイイ若者が話しかけてきた~店の事やらを聞いて軽く会話を交わしたのだが~2週間が過ぎた頃に又話しかけてきた~気さくで話しやすい若者だったので世間話に付き合った~三度目の時に彼が<マネージャーに頼みがあるんだけど聞いてくれないかと>
どうしたのと聞くと・少しの間だけどチャカ(ピストル)を預かってほしんやけど~それは無理やな~と返答した・彼は想定内の言葉と受け入れたようだった~それからひと月程した頃にウエイターが言って来た・彼は死んだそうです・彼は大阪で一番の番長だったんですよ~なるほど思ったよりも若かったんだ~それにしても落ち着きがあった~
ピストルは人を殺すための道具だ<それ以外に使い道はない>そんなモノは必要ない・人を殺せば自身も死ぬ覚悟はするべき・ニュースを見るたびに思う・殺人を犯したなら即自首してくれ~逃げて生き恥をさらさないでくれ~と言いたい、人の命は誰しもが平等・同格だ~
40)弟が調理師を目指すことに
弟から連絡が来た
マネージャーになって間もない頃だった~24歳になった弟から電話がきた~大阪で寿司職人を目指したいと言う<それじゃ~キッチンのチーフに聞いてみよう>
チーフ曰く・寿司職人を目指すには鍋洗い・掃除・包丁研ぎからどんな下働きでも文句ひとつ言わずに耐えて、無心でやれる中卒が望ましい・基礎から叩き込める~24歳では耐えられるだろうか?<やはり厳しい世界なんだ>だが弟も考えた挙句に”志”を決めたようだし・


寿司屋の募集広告を探そう
三つ寺筋を歩き回ると角に寿司屋がある<壁に募集の張り紙・住み込み可・と書いてある>そう言えばこの店はずっと以前から貼ってあったはず~従業員が続かないんだ~
だが~気になるので店の評判を聞いて回った~するとあの店は値段が高くて通えない・藤山 寛美さんが常連客だとか・そうか~藤山 寛美さんは食通だ~これも縁だと思い・その店を勧めた・
出勤は午後2時から~掃除・仕込み・準備~開店~閉店時間は午前3時、それから片付けありで~寝るのは5時頃になる・自由時間なんてまるでない・まさにクタクタの働きづくめだ~弟はこれに耐えた~我慢して忍んで三年余を乗り越えた~そこはふぐ料理もありで・ふぐ免許を取得していた・よく辛抱したね~


その後~他の寿司屋に転職~島根や熊本の料理旅館で料理長を勤め~博多に戻り調理師連合に所属~料理の鉄人で日本一と謳われた道場六三郎さん監修の大型店が博多にオープンしたとき~弟は料理長になっていた・勉強家だ~
高額納税者も様々~
その後に今度は末弟が来阪してきた~弟の話では親父の納税額が福岡市で8位・福岡県で12位だったという・ふ~んそうなのか~
新聞とかで高額納税者の番付を見る度に<こんな人達はどんな生活をしてるんだろうと・想ったことがある>えらい違いだな~おいらは子供の頃におやつや甘いものを食べた事がない~おかげで虫歯がない、腹が減ると水道水で満腹にしていた・そんな子の家が高額納税者とは・笑うしかない~


考えてみれば親父は博打には手を出さなかった、中洲に飲みに行くこともない~その気になれば行けただろうに~近くの酒屋か家飲みだった~友達付き合いもせずに趣味もない~土地は買ってはいたが~高度成長期に入り土地価格の高騰が功を奏したようだ~
親父もこれほどに土地が値上がりするとは思ってはいなかっただろう~当人が一番びっくりだったかも~放置していたあの220坪と150坪の土地とか~

末弟はチーフの紹介で梅田地下街の天ぷら専門店に就職した~
料理人の世界は<料理長が弟子を引率して転職する仕組みになっていた>店側は料理長に毎月の契約額を支払う~料理長は弟子に手当を渡す~食材の仕入れ業者も料理長の一存になる~なので料理長は条件のいい店を自ら探しては弟子を引き連れて転職をするという~知らなかったな~


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